格差社会の教育に「安全圏」はあるの?

格差社会の教育に「安全圏」はあるの?
感情を持ち、頭脳を持ち、まして生きるために「あなた」の助けを必要としている生き物。それは、現代日本の公教育の周辺、そして実際に子育てをする保護者の行動意識の中に広く根を張る問題でした。無気力に染まる子どもたち」を通して見えたもの。自分の子どもを育てるにあたって、絶対の自信を持っている親というのは、まずいないでしょう。赤ん坊が生まれる前から様々に準備される、「成長にいい」育児グッズの数々と、早期教育のための教材。親自身が、いかに未熟なものであるかを思い知らされるのが子育てでもあります。

将来はバラ色になる」と思わせぶりな文言がメディアに躍ります。お稽古や塾は百花繚乱。赤ん坊の頃は、歩き始めるための準備、歩き出せば言葉をしゃべるための準備、しゃべり始めれば次は文字に外国語……と、子どもは常に先を見越した準備に追われていきます。過熱する受験、名門校にも見られる不登校、それでも熱心に教育サービスを買い続ける親たち。どんな親でも、いざ自分の子どもの問題となると、不安になったり、逆に期待したり、うろうろとするものです。

はたしてこの行く先は? 「『何のために勉強するの』にどう答えますか?」「豊かさの果て。しかし、その不安の解決を支援するという本来の必要以上に、世は親の教育熱を煽っています。格差社会の到来に警鐘が鳴らされた矢先の教育再生議論。そして、見通しの立たないものごとには、不安がつきまとうのが常でもあります。「教育消費主義」と名づけることさえできるかのように、貪欲に教育を消費してゆく日本人。

何かがおかしいとは思いませんか?先の見えない不安感。加熱する教育への投資……。子どもの「いま」を見ていない親の目の前に、次々と手を変え品を変え繰り出される教育パッケージ。先行きの見えない社会で「こぼれてゆく」ことへの不安から、子供の教育への不安感が高まっているようです。やれIQだ、右脳だ、数学力だ、今度は科学だと、「これをすることであなたのお子さんは頭が良くなる。


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